地下鉄サリン事件を思い出す ― 2025/03/20 09:46:28
今日は春分の日である。だいぶ日が長くなってきたが、未だに寒い。これぐらいで寒いといっているようでは北国の人に対して申し訳なく思う。
きょうで地下鉄サリン事件が起きて30年になる。経過年数が 5 や 10 で割り切れると節目になるということなのだが、私にとっては 16 や 32 のほうがキリがいい。それはともかく、自分にとっての地下鉄サリン事件を振り返る。
私のホームページに、1995 年 3 月 20 日の日記がある。
日記(1995年3月)
これは当時その日につけていた日記ではない。あとで(2008年ごろ)当時のことを思い出してつけた日記だ。これについて補足する。
私は1993年9月に勤務先を変えた。それまでは徒歩20分程度で寮から職場まで行けたのだが、変えた後は徒歩と電車で45分ぐらいかかるようになってしまった。会社の寮は江戸川区葛西にあり、そこから 15 分程度歩いて地下鉄東西線の葛西駅に着く。葛西駅から中野方面の地下鉄に乗ると 15 分くらいで茅場町駅に着く。茅場町駅で地下鉄日比谷線に乗り換えると一駅で八丁堀駅だ。そこから歩いて職場に通うという毎日だった。
なによりつらかったのは葛西駅から東陽町駅までの混雑した社内だった。幸い、フレックス出勤が可能で勤務先には朝 10 時までにつけばよく、葛西駅の朝の電車に乗るのは9時前後だった。それでもかなりの乗客が居て混雑するのだった。30年前の今日も、朝9時ごろ葛西駅を出発した電車に乗ったはずだ。
そして私の乗った電車は茅場町駅に近づくにつれて遅くなり、茅場町駅に止まった。私は乗り換えで降りたが、日記に書いた通り日比谷線は運行を停止していた。茅場町駅から八丁堀駅に向かう日比谷線は新大橋通の下を通っている。そこで茅場町駅から八丁堀駅に新大橋通りの上を歩いていたら、ヘリコプターが数機飛んでいた。
もし私が9時定時に間に合うように電車に乗っていたらどうなっただろうか。茅場町で普通に日比谷線に乗っていただろう。ただ、サリンを吸っていただろうか。サリンがまかれた地下鉄のうち、日比谷線の中目黒行電車は、茅場町到着・発車が8時ちょうどごろのようだ。よくわからない。
当日の話に戻す。歩いて八丁堀駅入口を眺めながら勤務先についた。勤務先での当日のことはよく覚えていない。ただ、ワークステーションが置かれている広い仕事部屋に小さなテレビがあり、社員が皆、就業中にもかかわらずテレビのニュースを見ていたことはなんとなく思い出される。 早く買えるようにという上層部からの指示で定時後早めに帰った。日比谷線は使えなかったはずで、地下鉄東西線も動いていたかの覚えがない。八丁堀駅には地下鉄だけでなく京葉線も通っていて、こちらを使って葛西臨海公園駅まで行って、そこから寮にもどったような気がする。だから、日記には「帰りの地下鉄は」と書いているが、これはうそかもしれない。ただ、京葉線も東京駅から、八丁堀駅、越中島駅まではずっと地下にあるから、地下鉄のようなものだろう。
この事件で強く思ったのは、混雑している時間帯に、混雑している電車には乗るものではないということだった。私は早起すること自体つらくはないが、いわゆる9時定時に出社するということは混雑のひきがねを作ることになってしまう、という思いから少なくとも30分遅く出かけることにした(もちろん混雑で自分が痛く、つらいということもある)。ところが、勤務先が買収されて別資本が入った。この別資本が行なった改悪は、フレックスタイムは特段の理由がない限り使わないこと、9時に出社することにさせたことである。私はこの時点でこの資本を終生恨むことにして、そして勤務先に静かな退職をした。静かな退職とは、勤務先で働いてはいるが極力努力せず、最低限の勤務しかこなさないことをいう。まあ、そんな態度も会社には露見していたのだろう。待遇は徐々に悪くなったが、それは自分の態度のゆえであり、しかたがない。退職してから、当時の勤務先との人間との付き合いは極力断っている。付き合いを断った理由は、30年前の地下鉄サリン事件にまで遡る
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