認知症の疑いがあることに気づく2019/09/06 21:30:52

知りたくないの(菅原洋一)という歌があったが、知りたくないものはたくさんある。そんな中の一つは、自分が認知症になっているという疑いである。簡単なテストをやってみたところ、やはり認知症の疑いがあります、ということだった。認知症を予防するために、ストレスのかからない生活を送りましょう、というものがあった。

認知症と関連が深いものに、老人性うつ病がある。うつ病とは、気分が落ち込んでしまってゆううつになってしまうことだ。このうつ病もストレスが原因であると考えられているので、ストレスを除去または軽減することがうつ病を直す一つの方法である。そして、うつ病のときにいわれているのは、重大な決断をそのときはしない、回避するというものである。たとえば、会社をやめるとか、ということである。

そこで一つの疑問が生じる。会社勤めで生じたストレスがあってうつ病になってしまったとする。そのストレスの原因なり発端なりが、勤めている会社固有のストレスであったとしよう。そうすると、ストレス解消の一つの手立ては、会社を退職することである。ところが、うつ病では、会社の退職という重要な決断は回避せよ、という。これはいわゆる、キャッチ=22 的状況ではなかろうか。

正確にはこうなるかな。キャッチ=22 でこうなっている。戦っているあるとんでもない部隊がある。そこから逃れる条件は、その隊員が(程度の高い)狂気に陥った場合だけである。そして、その隊員は狂気に陥ったことを(除隊申請書によって)自ら証明しなければならない。しかし、(除隊申請書によって)自ら証明できるということは自分の狂気を意識できるということでもある。そしてその結果、自分で狂気を意識できる程度では、除隊の条件を満足すべき(程度の高い)狂気に陥っているとは認められない。そのようなジレンマである。さすがにうつ病のストレスは、そこまでのキャッチ=22 的な、それこそダブルバインド的なものではないと思う。

医者は、退職しなくとも、休職制度を活用してはどうか、などという。籍だけはおいておけ、ということだ。そうして時間がたてば、会社のストレスは軽減することもあるだろう。しかし、軽減しないこともあるだろう。そうなると、休職した分だけ、無駄になる(休職中の補償は千差万別だろうから、これはおいておくとして)。

いつの間にやら認知症がうつ病の話にずれてしまったが、こんな話のずれかたは認知症のせいなのだろうか?