飲食の上限を考える2019/09/02 23:14:21

おとといは飲み会に参加した。たまたまこのときは意識があるまま帰ることができてよかった。しかし、私のことだから、いつ、どこで飲みすぎて意識をなくすかわからない。

一番怖いのは、若い人たちと飲むときである。若い人たちは当然私より飲む。負けじと私も飲む。これがいけない。わたしはもう、何もかも、若い人たちに太刀打ちできなくなってしまったのだ。酒を飲む量も、である。

ただ私が若い人たちより上だろうと思えることは(年齢以上に)一つだけある。それは、食べ物を粗末にしない、ということである。私が参加する宴会は、私のテーブルだけ、食い物がなくなっている。それは、残り物を私が食べるからだ(人が自分の皿に取ったものは食べない)。そして、私がテーブルにある食べ物を食べつくすと、別のテーブルに移動して同様のことを私が腹いっぱいになるまで繰り返す。あまり、というよりほとんど、宴会の人と話をしない。そして、すべての食べ物がなくなった時点で初めて、私は話に参加しようとする。しかし、すでにその段階では出席者は決まった人どうしの話がはずんでいる。かくしてわたしは取り残される。

昨今問題となっているアマゾン川流域の焼き畑農業と似ているような気がする。

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