試験を受けに行く2019/07/01 20:42:48

きのうは午後試験を受けに行ったのだった。場所は獨協大学で、東武伊勢崎線の「獨協大学前(草加松原)」という駅から歩いて10分弱の場所である。試験開始まで時間があったので、駅を降りてすぐの場所にある草加市立図書館に向かった。試験勉強をすればよかったのだが、椅子という椅子がすべて塞がっていて、しかたなく本棚の本を読むことにした。試験に関連がある本を読んでおけばいいものが、ふと気が付くと「郷土作家コーナー」というところに足が向いていた。そこで案の定「後藤明生」の一覧を見出すと、単行本から文庫本までけっこうならんでいるのだった。

昔SNSで私はこう書いた。「いつになったら後藤明生の『壁の中』が読めるだろうか」と。試験が終わったらもうすぐ読めそうだ。

少しだけ後藤明生の評論を読んだ後、図書館を出て獨協大学に向かった。獨協大学の構内で、私が受ける〇〇試験の会場を探していたら、同じ会場を使う英検の係員が「〇〇試験の方ですか。それでしたらずっとまっすぐいって突き当りの建物です」と親切に教えてくれた。つまり、私は英検を受けそうにない顔に見えたのだ。

試験は午後1時42分始まった。試験時間は2時間である。うんうんうなっていると、私の前で受験していた若者が手を挙げて時間が来ないうちに去って行った。私より問題を早く解くなんて、と老年の私はむやみな嫉妬を覚えたのだった。こんな私は軽蔑されるべきだろう。

練習に行く2019/07/01 20:50:54

きのうの午後は試験を受けていた。その後家に帰り、チェロを抱えて再度家を出て東陽町に向かった。午後6時に始まる弦楽合奏の練習があったのだ。

私はチェロを弾いている。今回練習があったというのは、1か月と少し後に弦楽合奏の本番があるからだ。私は当初この本番に出るつもりでいたのだが、気分を塞ぐ出来事が起こり、出演を辞退したのだった。しかし周りから説得され再度出ることに決めた。一度引っ込めたものを再度出ることにしたなんて、ずうずうしいではないか。このずうずうしさを評して、私は今度出る合奏のみんなに向かって「生き恥をさらしている」と書いたら、ある人から「そんなことで生き恥をさらすなんて言っているのか。だとしたら俺なんか何百回生き恥をさらしたか」と言われたので、ますます生き恥をさらしている気分になってきた。

生き恥をさらしたついでにいえば、この合奏団の練習のため、候補曲を考えて、印刷したり、編曲したりしてきた。この先を書こうとしたが、さらに生き恥をさらすことになるのでそれはやめた。

東陽町には老若男女が集まってきた。各自が持ってきた候補曲をかたっぱしから弾いてみて、これは候補だ、これははずす、などと言い合っていたら終わりの時間として決めていた午後9時を迎えた。しかし練習場所は午後10時まで確保されている。ただ一人、若いヴァイオリン弾きが、自分で練習したいので残りの時間をくださいといい、みなはそのヴァイオリン弾きを残して帰った。練習場所から聞こえてきたのは、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第3楽章ソロパートだった。いいよなあ、こんなかっこいい曲が軽々と弾けるなんて。またまた嫉妬を覚え、その嫉妬に軽蔑する自分がいた。

源氏物語を読み終える2019/07/02 20:56:08

ようやっと、大塚ひかり訳「源氏物語」全6巻を読み終えた。いったいいつから読み始めたのか覚えていないが、5年ぐらいかかったような気がする。

私はほかの人の訳を読んだことがないからわからないのだけれど、大塚の訳は男のダメさ加減をこれでもか、と追及しているように読める。いや、大塚は、訳文中にはさんでいる、訳文の要約と自身の見解を記している「ひかりナビ」で、男のダメさ加減を主張している。私はこれを素直にとって、男はいかにダメな人間かということを身をもって感じ、辟易してしまった。

最後の「夢浮橋」の巻を電車のなかで読んでいた。ふと上を見上げると、そこには「アイススケートで表現した源氏物語」という広告があり、おもわずその偶然に驚いてしまった。

長いと思っていた源氏物語だったが、読み終えてみると寂しい。次は何を読もうか。家にあってまだ読んでいない長編もあるが、文庫本ではないので苦しい。借りてくる本なら何にしようか。後藤明生の「壁の中」は昔から読みたいと思っていたが、調子が出ない今日この頃、読み切れるだろうか。それから、もう30年以上前、同僚から「おまえはこれを読むべきだ」と言われて勧められた、モラヴィアの「軽蔑」がいいのだろうか。

片付ける2019/07/03 21:21:48

親しい方からの勧めもあり、片付けられるところを片付けている。今日は、小さな棚の一角をあけるために、いらないものを仕分けして捨てる作業をした。いらないものとはいえ、捨てるための前処理に時間をかけないといけないものだが、なんとかこなした。この前処理はいつかはやらないといけないものだった。やっとのことで済ませた。晴れて捨てられる。

本を読み始める2019/07/04 22:34:07

結局読み始めたのは、ボールドウィンの「ビール・ストリートに口あらば」である。まだほんの入り口である。

眠れない夜がまたくる2019/07/05 22:27:29

きのうは久しぶりに家で酒を飲んだ。のみくさしのワインがあり、酸っぱくなっていないかと心配になったのである。さいわい酸っぱくはなっていなかったのでコップに1杯飲んで寝た。すると午前1時40分ごろに目が覚めてしまった。トイレに行って用を済ませてまたふとんに戻ったが、なかなか眠れない。ぼんやりしているうちに朝の6時を迎えてしまった。

というのは、今日は最悪の事態を想定したのである。つれあいにはその事態を話して覚悟をしてもらった。
結局、最悪の事態は起こらなかったのだが、眠気だけが残った。

帰りは、AさんやBさん、Cさんの若い人たちの姿が浮かんだ。若いことはいいことだと、意味もなく思う。私の若いころなんて、まるで意味がなかった。年をとっても、まだ意味がない。ABCの諸氏はみな、若くて公私ともども活躍中である。諸氏をうらやんでも仕方のないのことだ。とはいっても、年以外に、自分が上である何かがあるはずだ、という思い上がりから抜けきれない。

ダジャレを抑える2019/07/06 23:17:33

午前中、某所で弦楽合奏の練習をした。
私は前回に引き続き何曲か楽譜を用意した。その中には、"summer" という曲があった。ではこの "summer" を前回に続いてやりましょうか、という提案をして、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの譜面を渡したのだが、第1ヴァイオリンの譜面が見当たらない。困った。とっさに次のようなダジャレを言おうとしたが、やめた。

「これじゃサマにならないな」

こんなダジャレを言ってしまったら、オヤジギャグといって笑われ、前頭葉の衰えを指摘されてしまう。前頭葉の衰えは事実なのだが、それを他人様から指摘されるのがシャクなのだ。かろうじて第1ヴァイオリンの譜面も見つかり、胸をなでおろしたのだった。

「ビール・ストリートに口あらば」の偶然に驚く2019/07/07 09:27:03

引き続き、ボールドウィンの「ビール・ストリートに口あらば」を読んでいる。

さて、私の家には1か月か2か月に一度、越谷市にあるサンシティホールからの情報誌が届く。さてこの「サンシティホール情報誌」を見てみると、驚いたことに、このホールで映画「ビール・ストリートの恋人たち」が上映されるという。ひょっとしてこのボールドウィンの作品かと思って調べたら果たしてそうだった。なんという偶然だろう。

ちなみに、原題は IF BEALE STREET COULD TALK である。口あらば、というのを最初は「ビール・ストリートにある職場に働き口があればいいなあ」というように解していた。いつ職がなくなるかもしれないという不安にさいなまれていると、このような誤った理解をしてしまう。

中島敦を読む2019/07/08 22:53:16

高校生のときに買った、中島敦の文庫本を読んだ。ちょうど「李陵」のところを読み終えたところだ。司馬遷がどうのこうの、というところを読んで、そういえば後藤明生が司馬遷のことを書いていたはずだ、ということに思い至った。

それとどうでもいいことだが、相撲のニュースをみていて、四股名が「明生」という力士がいることに気づいた。この力士、本名の下の名前が「明生」と書き「めいせい」と読むようだ。

奏唱聴-音楽感想文-を作る2019/07/09 23:59:55

別に不治の病に侵されたわけではないが、人生の残りの時間が近づいてきた。下記のような音楽体験記を書いていくことにした。
奏唱聴-音楽感想文
http://www.annex.marinkyo.que.jp/index.html.ja