新日本フィルの武満徹2017/01/26 23:07

新日本フィルハーモニー交響楽団による武満徹の作品を聴いた。場所はサントリーホール、指揮は井上道義。
ジェイド

シャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」は、蓄音機で再生された。本当に電気を使っていないということが信じられないほど、済んで直接感じることができた。否、電気を使っていないからかもしれない。

「死んだ男の残したものは」は、 武満が残した作品の中で私が最初に聴いたものだ。 いつかというと、私が小学校4年生のときである。 担任の Y 先生は音楽の時間になると (音楽の時間以外でも時間割を無視して) フォークギターで弾き語りをした。 高石ともやの「受験生ブルース」とか、 ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」とか、 今となっては考えられないほど自由な時間で、 その中に谷川俊太郎作詞、武満徹作曲のこの歌があった。 この場で久しぶりに聞いて、当時のことを思い出した。 前半は <死んだ***の残したものは……他には何も残(さ|せ)なかった……>の変奏である。 括弧内、 正規表現の[さ]から[せ]の転換を Y 先生から教えてもらった時の寒気が、このとき蘇った。 歌は大竹しのぶで、想いがこもっていてしかも自然に感じられた。

2つのレント(抜粋)とリタニは、ピアノ独奏曲である。 リタニは2つのレントの改作ということを初めて聞いた。 私の中では、2つのレントのほうが有名で、 それはある評論家の「音楽以前」という誹謗ゆえであり、 音楽そのものはほとんど知らなかった。 2つのレントとリタニを聴き比べてみると、 抜粋部分だけでいえば、「レント」のほうがとんがっていた、 という印象を受けた。 それは若書きだということでの偏見でないといいのだが。 リタニのほうはというと、 ドビュッシーが当時生きていたらこんな音楽を書いたのではないか、 というほど似ていた。

次は、弦楽のためのレクイエムである。 私にはこの曲が一番合っていた。というのも、 私が弦楽合奏団に長くいたことで、 弦楽合奏という形態になじんでいたからである。

さて、井上道義は武満についてこう解説していた。 彼の気分や作品は両端に荷物をぶらさげた天秤棒のようなもので、 憂きほうに作用するときもあれば、 反対の喜びに作用することもある、と。 最近物覚えが悪くなったので以上のことばは不正確だが、 大意はこのようなものだ。 そして、弦楽のためのレクイエムが一方の憂きほうなら、 次のグリーンはその反対にあるものだという。 そして井上の次のことばには驚いた。 当時の武満は、 ノヴェンバー・ステップスとグリーンを並行して作曲していたが、 ノヴェンバー・ステップスはあまり好きではない、 と武満はいっていたそうだ。 井上は、 ノヴェンバー・ステップスとグリーンは両天秤ではないか、 という。 さて、俺の感想はといえば、まあ、たしかに明るい。 しかし、その明るさがどのようなものかを表現する力は、俺にはない。

休憩20分のあと、カトレーン(オ-ケストラ版)が演奏された。 バイオリン、チェロ、クラリネット、 ピアノを独奏楽器群としたオーケストラ曲である。 こちらは、クラリネットという管楽器、バイオリンとチェロという弦楽器、 ピアノという鍵盤楽器のそれぞれの空気感が、 これほどまでに異質なものだとは思わなかったという驚きだった。 クラリネットは直接耳に来るが、2つの弦楽器は空気全体から聞こえる。 ピアノは、 複数の指向性の強いスピーカーがあちこちで反響した結果として届いていた (これは唸りを生じているということではない)。 さて作品として何を感じたかということについてだが、 語るべきことばを私には持たない。

事実上の最後として、「鳥は星形の庭に降りる」が奏された。 解説で井上道義が、岩城宏之から聞いた話を紹介していた。 岩城はオーストラリアのメルボルンでこの曲を演奏したが、 英語の A Flock はオーストラリアでは羊の一群のことを指すので、 オーストラリア人にはイメージがわかなかったとのこと。 題名も苦労するものである。 そして井上は、「カトレーン」とこの曲は決めが凄い、 と絶賛していた。この意味がわからなかったが、 たしかに、「カトレーン」とこの「鳥は……」は、 終わり方に心を動かされた。 そういうバイアスが井上によってかけられたからかもしれないが、 それはそれでよかったと思っている。

さきほど「事実上の最後」と書いたが、 これはプログラムの残り2曲はアンコール相当なので、 と井上が言ったことによる。

訓練と休息の音楽 −『ホゼー・トレス』より − と、 ワルツ −『他人の顔』より−は2つとも、 <3つの映画音楽>という弦楽オーケストラのための作品である。 弦楽でも凝ったことができるのだという、 稚拙な鑑賞態度はいけませんね。

最後のワルツは、 最近気になっているナポリの六度が効果的に用いられている。 そういえば蓄音機の次に紹介された最初の歌 「死んだ男の残したものは」の編曲も、 メロディーの最後にナポリの六度を使っていた。 そこまで考えてのことなのだろうか。

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